20年目の答え
さかのぼること約20年前。
友人のダンナがこんな疑問を吐いた。
「自分のやりたくない仕事をしていて、何の意味があるのかな」
当時の私は間髪入れず答えた。
「あるでしょうよ。己の妻子を養うという意味がよ!!」
その友人のダンナというのは今思い返してもろくでもない男で、離婚間もない友人を追っかけて家に転がり込み(嫁ぎ先の土地で知り合ったらしい)、ろくに仕事もせずに子どもだけ作ってしまう、絵に書いたような穀潰しだった。
馬鹿じゃないのか、こいつ。
心の底から腹が立った。
どの仕事も「自分には向いてない気がする」とかふざけた理由ですぐに辞めてきて、その度に家でふて寝。
その傍らには身重の妻とその連れ子がいるというのに。
ひとつ屋根の下には幼子を連れ腹に新たな子まで宿してしまった情けない娘と、情けない娘にくっついてきた情けない男を情けない思いで養う高齢の父親もいるというのに。
お父さんはどれほど情けない思いでその光景を眺めていたことだろう。
親でない私でも、情けなさでいっぱいだった。
仕事を辞めてきたと聞く度に友人宅を訪ね「そんなソッコー仕事辞めてきてどうすんのよ」「いい加減ちゃんと定職に就いて皆を安心させなさいよ」と小言をいい続けてきたのだけれど、その度に奴は「なんかパッとしなくて」「俺のやるべき仕事って感じがしなくて」と一丁前の言い訳を繰り返してきた。
数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど多くの仕事を経て、とうとう「やりたくない仕事をする意味があるのか」とどこぞの哲学者のようなセリフが飛び出したのだ。
「お前みたいな穀潰し、生命保険の手続きしてやるからすぐに飛び降りな‼その方がよっぽど妻子のためだろうよ!」
ぶち切れた私は友人宅の窓を開けてそう叫んだ。ちなみに友人宅は5階建てマンションの最上階。
友人たちが止めなければ奴の胸ぐらをひっつかんで放り投げる勢いだった。よかったー止めてもらえて。こんな下らない男のために人生棒に振るところだったわ。
それから20年。
「やりたいと思えない仕事をして何の意味があるのか」
まさか自分がそんな疑問を持つなんて。
今の仕事は、面接に落ちまくる私を心配してくれた知人が紹介してくれた工場で、キツイ汚い給料安いの3Kの代表格のような仕事。
子どもの学校行事や病欠には理解を示してくれるありがたい職場ではあるが、はっきり言って、好きな仕事ではない。
しんどいなぁ…と思う度に、その疑問が頭をよぎる。
そして、自虐的に笑う。
答えは20年も前に出してんじゃん、自分で。
今になって、あの頃の奴の気持ちを少しは理解できる。
でもやっぱり、私はあの時と同じ答え。
どんなに嫌な仕事でも、己の家庭を守るために頑張るのだ。
やりたい、やりたくない、なんていうのは二の次で、目の前の仕事を必死にやる。
ただ、それだけ。
明日も頑張ろう。